出会いと発見(新しい分野への挑戦)

Hiroshi Nakazawa

(Top Photo)HIROSHI NAKAZAWA

 

ハタ・シュウメイ君のテストボードを作るたびに、千葉県外房へ出張することが多くなった。

湘南の都会化にもうんざりして・・・のぞむ外房は自然あふれ、視覚に疲れたこの目玉を甦らせてくれる。

信号のまばらな道路・海岸線から見え隠れするワイルドな景観・潮の香り・多彩なサーフポイントまばらなサーファーのエントリー。湘南にくらべ波乗りに適したウネリ、波数も多く楽しめる日が続く、東京に一番近いサーフエリアだ。数少ないマイノリティーサーフのニーボーダーとの出会いをもとめて日本中・北は仙台から南は奄美・宮崎まで、コミュニケーションを続けているわけだが、この時ばかりはインターネットワーク・コンピューターの文化的貢献に感謝せざるおえない。

鴨川在住の中澤ヒロシさんをシュウ君と尋ねること2回目で、ラッキーにも3人のニーボーダーで千倉ポイントでサーフすることが出来た。ローカルの話を聞くと、このポイントはあまり波立ちにめぐまれず、早いダンパーの時が多いと言う、が南西・もしくは南南西の風をうまくかわし、オフショアコンディションでサーフ可能だ。

恵まれた環境にサーファー心が少し動く。

ムネ~アタマサイズの波に的確なアプローチを見せる中澤さん。昨日も同じエリアでサーフしていたらしい「人が多いより、水の下に岩が見えた方がいいね。」「ポイントが混雑していたら、すいているシャロ―なサーフポイントを選んだ方が中澤さんのサーフスタイルに合っているようだ。」

リスク有りだが、のびのびサーフ出来る事はサーファーの望むところだと同感してしまう。中澤さんは、ニーボーダー件ペンションのオーナーでもある。宿に一泊させて頂いて、イベントプロモートの仕事の打ち合わせにも使わせて頂いた。ハタ・シュウメイ君の町おこし的イベントは、鴨川・外房辺りでその実力を発揮している。

さて、中澤さん・シュウメイ君・私ともニーボーダーであるが、シュウメイ君と私はもともとスタンディングボーダーであって、のちに体の故障からニーボーディングへ転向してきた者同士だ。

中澤さんのライディングスタイルは前傾姿勢をとり、波の斜面に張り付くようにポジショニングして、レールワークを自在に使い、フルスピードを意識しているようだ。中澤さんいわく「しりを上げろ!!」「しりを上げるにも練習とイメージが必要だ!!」と言う(少し笑いのぬくもり)

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フラッシュポイント製の板を愛用し、OZさながらな本格的ニーボーディングのかまえだ。世界をリードするボーダーのかまえはやはり前傾姿勢で巧みなヒザ使い・レールワークを生かしたフルスピードからの技へのアプローチ、空中技も大きく決めてくるほどニーボーディングも進化し続けている。

ライディングスタイル一つ見ても多様であり、板選びにまでなると千差万別、ニーボーダーの数だけ板の種類も存在していると言っても過言ではないだろう。

スウィムフィンを付けずにニーボーディングする人も多くなっているようだ。

 

ひとしきり波乗りの話をしたあと、中澤さんが世にも珍しいニーボードサーファーの雑誌を差し出した。1999年発刊らしい、広告ページに1979年のデビット・パーケスの写真が出ていた。この時代私も同じ年齢なので懐かしく感じられた。あの頃、当時働いていたサーフメーカーでOZを日本へ呼んで、マッコイサーフボードの展開をしていたと思う。ブロンズオージーズなるサーフチームが来ていて、マーク・ウォーレンさんの筋肉とスポーツ好きにやたら魅力を感じていた頃だ。(なんと、マーク・ウォーレンさんのニックネームはサーフィン・カンガルーだった)オリジナル・サーフワックスにもカンガルーのデザインがマッチしてやたら大きめの円柱形だったことを憶えている。

1979年 D.パーケス

1979年 D.パーケス

1979年 私 足元はRainbowSandal !

1979年 私足元はRainbowSandal !

ニーボードサーファーの本にもどって、今なら名前も知っているニーボーダー達、1999年当時の彼らの活躍は今でも雑誌の中で息づいていた。

日本には情報も少なく、ニーボーディングを始めたころはいつも一人でエレクトしていたので、世界に広がるニーボーダー達の存在を知ったのはほんの4-5年前くらいからで、

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ピーター・クロフォード、ジョージ・グリノー、レイ・ピノ、バディー・マックレイ、ウメザワ・サカエ、カワミナミ・タダシ、エモト・リクしか世界にニーボードをしている人がいないと思っていたのが、私の1999年のニーボードの常識であった、これ本当です。

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サーフィンリタイアを余儀無くされる故障でめげていたが、2000年からはニーボーディングで再出発、そして再発見→1999年のニーボードサーファー誌。そう言えばタヒチの大会でデイビッド・パーケスとも出会うことが出来た。今はけっこうメル友!

 

次回は新しい分野への挑戦と続くわけだが、やはりシュウメイ君の誘いもあって初めて参加したFCJ。

オヤジになって久しぶりに感動の涙を目の当たりにして、人の強さと私自身の小さい優しさなんて!!比べものにならない事実・・・ああ感動の次回へ。

FCJ 鵠沼

FCJ 鵠沼

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