ニーボーダーの待つ島へ

H.MATSUKI & H.HONDA

 

湘南の夏、8月中頃から3週間も続く波無し生活に不満を感じ始め、波はなくとも腰痛・首痛に安息は訪れず、美しい海で夏の続きを最大延長したく思い、久しぶりに奄美大島へ行くことに決定したのは9月12日だった。

1か月間で1回波乗りが出来た程度で波無しの湘南、秋の訪れも早く北東風の日が連日の中、9月16日に羽田で本田さんと合流、仲間ニーボーダーの待つ島へ。

午後3時過ぎには、島のサーフポイントを見渡せる所へ車を止めていた。台風15号の残していった南よりのウネリに炸裂する白波、頭オーバーの波、3~5Feetの押し寄せるスウェルは遥か沖からいく筋にもなって、エメラルドグリーン色に済んだ海にナチュラルコントラストを創造させる。

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出発から5時間乗り物にゆられ、固くポーズしたままの背筋を伸ばし、日除けのT-shirtsをかぶり、トランクスをはいたらスグ海へ。この波を一緒に楽しむために朝からスタンバイ中の梅沢さんとマツキ君。年齢の若い本田さんとマツキ君は、エントリーの遠いリーフブレイクのライトウェイブへ。カフナおやじの梅ちゃんと私は、ビーチサイドの近場の三角波をサーフした。波のスピード、水の量、ホレ上がる瞬間は、やはりアウターアイランドだけのことはある。

この波は、1000㎞以上離れた強風の渦に、始め海面が風と気圧とともに上下に乱動し、渦の中心から押しやられ、狂乱する波立海面はやがて整いを見せ、大きなウネリとなりこの島に到着する。

波がセットアップ・・タイミングが悪いと板をすて、海中へエスケープした方が良さそうだ。2本、3本と乗るうちにテイクオフさえタイミングを合わせれば、5.10の板でも十分ライド可能だった。波待ちやパドル途中、梅ちゃんとの会話も楽しい「トンネル状態」の三角波のファーストブレイク「時々来る2段に重なる太いウネリ」話題は今目の前にある。二人で何回もスープの泡をくぐり、目の前に落ちてくる波の矛先をかわし、動く海面と一緒に揺られ、テイクオフのタイミングを見分ける。

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この日3回目のテイクオフに失敗、波のリップとともにフリーフォール自由落下、2m程は空中を板と共に吹き飛ばされた。海中で首の骨がガキボキと激しく音をたてると、右手指先まで激痛とシビレ。ヘルニア頸椎なので運が悪いとすぐ頸椎ネンザをおこす。この後数分パドル不能、まだ手が動くことを確認後、残念のこりにもう一発、中サイズの波にタイミング良くスナップバックして、この日の波乗り終了となるが奥のリーフポイントを攻める若者二人は、ハンディーキャッパーで、片手・片足のニーボーダー達だ。私のこの痛みと不自由な動作など、彼らの身の上に比べれば何の事も無いはずだっと、考えながら浜へ上陸。足ヒレを脱ぎ(イテテ・・・)梅ちゃんのもとへ。

私も梅ちゃんも少し若い二人に心配もあり、岩に乗り上げないか、二人の姿をもとめ、浜を歩いていた。しかし、心配とは逆にこの二人、波の一番奥から失敗を恐れずキョウレツなドロップを見せている。ハンディーキャッパーの心意気!波乗りを求める気持ちはだれにも負けていない。

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H.MATSUKI

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H.HONDA

水が美しいので、光に透ける海面へ叩きつけられる時も、板のレールとテールが潮をはね上げている時も、何かやわらかく感じた。水の粒さえ、もっと丸くもっと丸く見えた。

宿はいつものグリーンヒル(1度は行ってみて下さい)

レフトの波、今回はウネリの向きが合わず、干潮時と言うことで見送り!!4Feetはかたい!!

 

2日目

早朝、どうやら南部 加計呂麻・古仁屋からサーフィングしに来たマツキ君は、自家用車の中に泊まり込み、私たちのサーフタイムに合わすべく、そわそわ、全てのポイントをチェックした後の様だった。昨日とは別の近いポイントに3人でエントリーしたのだが、潮が低く岩が危ない。サイズ的には落ち着きを見せ、潮の上げる午後も楽しめそうだ。午後、マツキ君、急な仕事の為南へ帰る。メンバー変わって梅沢さんと3人になる、この頃は腰くらいの波にサイズダウン、明日の波が危ぶまれる。

 

H.HONDA

H.HONDA

 

H.MATSUKI

H.MATSUKI

 

旅の途中出会った凄腕サーファー達

旅の途中出会った凄腕サーファー達

 

3日目

南西風、オンショアの少波、風の向きがオフサイドに変わるポイントへドライブ兼3か所のポイントチェック。どのポイントも岩・サンゴ険しく、満潮時の前後のみ楽しめる。

島のポイントはどの場所も潮位が大切で、慣れるまではロコの言葉を道標として、よく聞くことからだろう。しかし、風向きが合わなくとも複雑に入りくみ変化に富むポイントのおかげで、サーフ可能なポイントは存在する。そして大切なのはポイントまでの移動時間、潮回りに合わせるのがコツ。海の底、サンゴや岩・砂などが光を受けて多彩な色合いを見せつける。山なら森林浴だが、海では岩礁浴か?いや、すでに海水浴なのだが、板の上から見まわす景観はトロピカルではなく日本の景観にして、海の中・岸辺あたりはトロピカル。黒潮に浮かぶ温帯と亜熱帯の狭間の島なのだ。

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4日目

波無し。次の台風16号のウネリが来るまで、私達から南部 古仁屋 瀬戸内・加計呂麻島へ行くことに決定した。この旅行の計画中から、カケロマ島のマツキ君には、それとなく伝えていた事なのだが、古く太平洋戦争の頃の話で、私の父親が志願にて海軍の重巡洋艦「摩耶」に乗艦、フィリピンのレイテ海峡でアメリカ軍潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された。救助されたのが戦艦「武蔵」で、この大型艦もついにはやはり魚雷にて撃沈される。運が良すぎたのか、次は駆逐艦に引き上げられたが、この艦もやはり魚雷にて撃沈される。計3回の撃沈となるわけだが、しかし又しても海望艦に救助され、やっとの思いで日本に帰り着き、初めに目に映った陸地が奄美大島瀬戸内の景観らしい。この海峡に入るとアメリカ軍潜水艦の追撃もおさまり、目の前には季節風にさらされ、横に枝・樹を這わせる断崖の景色があったと言う。この頃日本は劣勢に敗戦色濃く、自国の為に戦いたくても、自分の艦を失っては何処へも行けずと残念至極・・。

奄美空港から車を走らせて約2時間のドライブになるだろう。信号機など数えるほど、ノンストレス道路。山を突き抜ける長いトンネルが日本のトンネル工事技術の素晴らしさを物語る。小さな港町に無料繋留の小型ボートが彼の舟で、6人乗りヤマハのエンジン、開放感あふれる海へ、胴衣をつけてスタート、加計呂麻側の浅場で海中散歩から、バカンスのスタートだ。

水中カメラ映像の世界へ入り込むのだが、私のメガネは曇りすぎて、いったい何をみているのやら。海中散歩の次は、船上釣り、餌を付けて海中へ・・すぐヒットして数匹の魚を釣り上げ、船上にて料理、氷でしめて甘口醤油にて刺身、Beer缶を開けカンパイ。舟を走らせて船上からサーフポイントのピーク部を眺め、実際の波やウネリの方向など想像する事この上なく楽しく感じられて、船足の快適さ、風と光の気持ちよさ、こんな休日はめったに無い、なにしろ「仕事が無い」「女房・子どもがいない」っと言っていると、彼達にわりあいウケた。船舶免許を持つ本田さんの操作で、船は出港した港より更に小さい島の港に着いた。軽自動車に乗り込み、陸上移動してサーフポイント案内とサービス満点。大島最南東に位置するレフトウェイブのポイントが海峡を挟み、静かに島影を映していると思えば、すぐ目の前には加計呂麻島Bestのライトウェイブのポイントが広がる。コンディションが合えば200~300mのスーパーレギュラーだと言う。島の周辺に主な役所関係の建物がポツポツある程度で、1分も足れば軽自動車に合わせたがごとくの細い道が、くねくね島の起伏に合わせて這っている。集落も小さく自然に囲まれている。トロピカルな花々が次々目に飛び込んでくる。

マツキ君が「犬塚さんが捜している景色はここなんじゃないかな」っと言って、海峡と太平洋を見渡せる高台、山の上にある太平洋戦争当時の[金子崎防備衛所]へ案内してくれた。あるがままのコンクリート基礎を残してある。海軍管理の施設と書いてあったので、帰還上陸した海兵もすぐにこの仕事に就いたのだろうと想像した。「弾薬を運べ」こんな声が聞こえた気がする。

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島の案内は続く。大雨水害の時、マツキ君の家は床上浸水の危機に見まわれ、家族を助けに行くべく彼の目の前の道路は崩壊し、オートバイを捨て、ひたすら家まで走り続けたと言う。「一生で一番本気で走った」「今も後にもあれが一番のダッシュでした」とハンドルを握りつつ少し笑みがこぼれる。種牛から優秀な黒毛和牛の子牛を育て、それを他地方へ肥育と出荷する仕事を彼の家は家業にしているらしい。その隣は最近始めたマンゴー栽培のハウスが隣接する。牛舎のすぐ近くにマツキ君の片足を巻き込んだ牛の飼料を作る大型機械があって、「あれにヤラれました」、どうやら想定外の事故で片足を失っているらしい。屈託なく話す彼の言葉に・表現に誰かに伝えておきたい気持ちが見てとれた。同乗している本田さんからも、骨のガンで片腕を切断した時の心情や、その事に臨む心構えなど、私には他人事とは思えなかった。今こうして波乗りを楽しみ、生活を取り戻し、マイナースポーツではあるがニーボードライダーとして復活を果たしている。

太平洋を臨む浜辺に大きなライオンの横顔に見える岩があった。海水から塩を作っているらしい作業所があって、塩を煮る湯気の中に働く人の姿が数人見てとれた。大島の北、打田原の浜の近くにも製塩所があって塩作り体験ができる。やはり、きれいな海水が売りである。ある本によると製塩技術は弥生時代~古墳時代前期にはおおよそ定まっており、塩生産者は事業化されて、農耕から離れた海人共同体であり、時には田畠の耕作に従事する場合があったとしても、もっぱら製塩をはじめ、魚働や海上交通の担い手であったと記されている。

話を戻して、日帰り加計呂麻ツアーの最後に島一軒のライブハウス的飲み屋さんに寄ってみた。海まで50歩ほど、海のすぐ近く、ダイビングツアー、宿泊もできる所で、まだ夏の様相のこの島は、仕事のかきいれ時らしい。航空便の増便で、訪れる人も多く、週末ともなればにぎやかなのだろう。

マツキ君に別れを告げて車に乗り込み、先ずは素晴らしいバケーション・ショート・トリップに本田さんと感動を確かめあいつつも、いつの間にか話題は、本田さんの新ビジネスの企画談から理想論へ、こんな話も又楽しく宿へ帰ると、梅沢さんのおもしろ話に、酒、そして眠る。

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5日目

台風16号のウネリ、波と共に入り始める。朝ムネ~カタサイズが1時間後には倍サイズ、頭オーバーサイズのセットアップがその数を増し力強さを感じる。初日のワイプアウトで首から右腕に痛みが残るので、良波に乗れた時点で波乗りを止めにしようと思った。本田さんはいつものライトウェイブを求め遠いリーフポイントへ漕ぎ出して行った。

急に雨が激しくなると風向きが変わり、雷さえ聞こえ始めた。カフナおやじの梅ちゃんが雲行きを見て、陸へ上がる事へ。良波に乗るまでに時間がかかる、乗り逃がした波のフェイスが目に残る、良い形の波にもテイクオフ出来ているのだが、波を攻めきれず、体力不足とヘルニア首がまとわり付く。まぁこんなものかと思い、湘南へ帰り、頸椎ヘルニアの治療をしながら体力気力の充実をはかり、次の波乗りにそなえる事にした。

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帰りに空港で地図を買った。いつも地図を買う、なるべく大きくて立派なものにしている。島の地図が大好きだ。羽田でバスの乗車券を買うと、財布の中身は630円になっていた。

 

仲間ニーボーダーと仲間ニーボーダーの待つ島への旅記でした。

 

*お父さんの艦を魚雷攻撃したアメリカ軍潜水艦「ダーター」はその後、海底の岩に座礁して、再び浮上することは出来なかった。本当の話であって、これが戦争なのだなと悲しくなった。

 

お世話になった梅沢さん

お世話になった梅沢さん

リラックス猫まねき

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